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2025/04/02 08:05



最近、道を歩くたびに思うんです。

人は進化しても、服はちょっと退化してる気がするなって。


いまや服は、近所の蕎麦屋並みに早く届きます。

ネットをポチッとすれば、次の日には「あなたが選んだ1,290円の運命」が玄関に。

でも、あまりにも早くて安いもんだから、なんだか“服を着る”っていうより“服に着られてる”人が増えてきた気がします。


(まぁだから最近アリエク横流しだのなんだのって騒ぎ立ててるんだなーと自分でその路線の服を選んでいるのに…。)


データもびっくり。

経済産業省いわく、日本で売れてる服の6割以上が1着3,000円以下。

環境省の数字を見ても、1年以内にお疲れさんでした。する服の数は年間10着以上。

…って、もはや“服”というより“付き合いの浅い、大学の友達” レベルです。


でもこれ、我々が悪いんじゃないんです。

たぶん、ただ“安い服に慣れすぎた”だけ。

「なんとなく着られればいい」って感覚が、いつのまにか“当たり前”になっていたのかもしれません。


だけど、思い出してください。

昔の服って、ちゃんと重みがありました。物理的にも、心にも。


たとえば、80年代のテーラードジャケット。

ウールやカシミヤでできたそいつは、まるで「ちょっとやそっとじゃへこたれませんから」と語りかけてくるよう。

芯地まで丁寧に仕上げられて、縫製なんてまるで職人の人生が一本一本の糸に乗ってるみたい。


そんな野朗共が、今は“古着”って名前で、こっそり待っているんです。


うちのお店では、そういう“ちゃんとした服”だけをこっそり集めています。

ハイブランドじゃなくても、価格以上の“物語”が詰まった一着たち。

派手に叫びはしないけど、静かにそっと“自信”をくれる服たち。


「安いから」じゃなくて、「いいから」選ぶ。

そんな服選び、一緒にはじめでも良いんじゃあねえだろうか?


服に着られる時代から、服と歩く時代へ。